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サフラン物語について

	立派な石塀に囲まれた機那サフラン酒本舗の敷地に入ると、正面
に見事な瓦屋根の主屋が迫るように現れます。その右手に白と黒の壁
に青い鳥や竜が踊る秀麗な蔵を見ることができます。
 この蔵は明治から昭和の初めにかけて、サフラン酒と呼ばれる薬味酒
で一世を風靡した初代吉澤仁太郎が、その財を惜しげもなく使って築
いた建物です。
 鏝絵の蔵、主屋の他にその左手には衣装蔵、庭園と続く、その奥には
棒の一枚板を使った長い廊下と梁が見事な離れがあります。
そのいずれをとつても目を見張るほどの立派な文化財ですが、新潟県
中越地震の被害が甚大で現在修復を完了しているのは「鏝絵の蔵」
のみです。そのため残念ながら、現在一般の方が目にすることができる
のは主屋と鏝絵の蔵の外観のみです。
(鏝絵蔵の内部や庭園・離れの一部の休日公開があります。)
 東洋のフレスコ画ともよばれる「鏝絵」で飾られたこの蔵には、青龍や
牛をはじめとする十七種の動物・霊獣、九種の植物が極彩色で描かれ
ています。
 機那サフラン酒本舗の鏝絵の蔵は、そのデザインの美しさ、色の鮮やか
さ、一つの建物に数多くのデザインがあるなどの理由で、日本一の鏝絵
の蔵と賞賛されています。
 饅絵とは土蔵や家屋の戸袋や壁面などに描かれたレリーフのことです。
平に塗られた漆喰壁面に、鏝を使って薄肉状に盛り上げた浮き彫りを施
したもので、左官の卓越した技能を要し、明治期から大正期にかけて盛ん
に施工されましたが、百年を経た今、現存するものは少なくなりました。
 サフラン酒の初代吉澤仁太郎は左官伊吉と伴に各地を巡って構想を
練り上げこの作品を創り上げました。当時頻繁に小出の西福寺開山堂
を訪れたことから、石川雲蝶の影響を受けたことが推察されています。

醸造の町摂田屋パンフレットより (言葉遣いを一部変更しています)

販売は全国のみならずハワイ州にも。 女性のみならず男性も衰弱症一切
との効能で、席巻しました。(左下の写真は市南地域図書館に展示のプレート)

機那サフラン酒本舗保存を願う市民の会

「機那サフラン酒本舗保存を願う市民の会」は、この稀代の文化遺産を
保存するために立ち上がりました。
活動の概略を以下に示します。
平成16(2001)  中越地震発生、建物・庭園に大きな被害	
平成17(2005)  NPO法人醸造の町摂田屋町おこしの会設立	
平成18(2006)  鏝絵の蔵 登録有形文化財に	
平成20(2008)  鏝絵の蔵を復興基金を活用して修復する	
平成21(2009)  庭園の草取りなどボランティア活動を開始	
平成22(2010)  サフラン酒大看板を買い戻し、修復事業スタート
平成25(2013)  機那サフラン酒本舗保存を願う市民の会  設立
平成27(2015)  主屋入口部に見学者受け入れスペースを整備
	     ボランティアスタッフによる土日公開スタート				

	

サフラン酒の歴史、吉澤仁太郎の生涯について

文久3(1863)   6/2 生まれ								
慶応4(1868)   摂田屋村小林重太郎家に養子								
明治13(1880)  千手の薬種問屋寺田幸七商店に就職								
明治17(1884)  21才 サフラン製造開始								
明治20     全国の酒造屋が淘汰されていった時期								
        仁太郎が、宮内地区の酒造屋を結集した。								
明治24(1891)  養子縁組解消								
明治25(1892)  サフラン酒を商標登録								
明治27(1894)  31才 定明から摂田屋に移転								
明治28(1895)  佐藤ハマと結婚								
明治38(1905)  銃印葡萄酒の製造開始	      					
明治44(1911)  4月 大看板 棟札 彫刻 金子九郎次								
        大正2(1913)の金峯神社上棟の棟札に同じ 								
大正元年 大規模改修    								
大正5(1916)   1月起工 衣装蔵建築 
       請負人 壁 河上伊吉(屋号市助)								
      完成までの十年は、オイルシティ長岡が
       最も煌めいていた時代。								
大正7(1918)   堀井勇次郎を養子に迎える								
大正12(1923)  妻ハマ死去、翌年二山田ワカと再建 61才 								
大正15(1926)  65才  鏝絵藏完成								
昭和6(1931)   70 才 数えで71才  離れ座敷 
      棟梁 平沢喜太郎 38才								
昭和16(1941)  80 才で死去
	

 

鏝絵蔵について

 鏝絵の構想を練るにあたり、作者伊吉は全国を旅行したそうで、魚沼の
西福寺の開山堂も参考にしたとされています。雲蝶作による道元の虎をも
諭す感動的ストーリーが、自分の蔵にもほしいと思ったに相違ありません。

そして、このように祈りを新築事務所の鏝絵に込めたのでは、と考えた
次第です。	
そして、このように祈りを新築事務所の鏝絵に込めたのでは、と考えとみると・・・。				
 鏝絵藏の妻側である東に面した、軒廻りの二頭の龍、一階、二階の窓の
塗戸の霊獣を、以下のように読み解くこともできると思います
			
まず軒廻りの二頭の龍は、東面の守護する青龍と、四霊獣の上に位
置する黄竜と見做します。一階、二階の塗戸には、鳳凰、玄武です。			
東西南北の順に、青竜、白虎、朱雀、玄武が方角の守護神とされて
いますが、この東面には、西の守護神である白虎がおりません。 				
そこで白虎は北面の鏝絵の虎になってもらうことにし、代わりに、四霊獣の
上に位置する黄竜と同格の麒麟を追加配置します。				
このように軒廻りの天空高くに龍、二階部分の空に朱雀・鳳凰、一階
部分に地を駆ける麒麟と水面の玄武があると考えました。
各方位の守護神による家運隆盛と地域安寧、そして水神を想起させる
龍で火難防止の祈り。 このように、二頭の龍を中心とした霊獣を、これ
しかないというような、絶妙な配置を考えたのでは、と思っています。
 北面の十二支の動植物も、商売の新築による仕切り直しとともに、
家運隆盛を祈る意味が込められていると思いますが、如何でしょうか。
南面の酉とウサギ、蔵内部の事務所入口の冠木門の扉の大黒様と
恵比須、そして鶴・亀とありとあらゆる守護神、お使いの総動員です。
単に贅沢な鏝絵というより、商売の永続と家運隆盛を必死に祈った
仁太郎氏の深く強い想いを感じるのです。


	

 

衣装蔵について

衣装のほか、お宝を収蔵蔵だったそうです。鯉の滝登りのほか、めでたい
ものを散りばめています。美しい多色の鏝絵蔵と違い、殆ど単色の衣装蔵ではありますが、
その鏝の技は、すばらしく冴えているように感じます。
もしかしたら仁太郎は、伊吉の、この鏝の技量を見て、今度建てる事務所(蔵)は本格的な
鏝絵で「商売繁盛と家運隆盛」をと、はじめて考えた、と思えるようにも、感じます・・・。

 

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