〇 Top page

"kina-saffron.com" へようこそ。こちらは、初めて本ウェブページにいらした方に、利用方法の概要をご案内するものです。
本ウェブページは、「機那サフラン酒本舗保存のを願う市民の会《に関する広報、観光に関する包括的な情報提供を目的としています。 併せて、村松・太田・山古志を含む広域摂田屋観光情報、長岡観光情報についても、一部、掲げています。
最初に 「機那サフラン酒保存のを願う市民の会《の豊口協会長(長岡造形大学吊誉教授、初代学長)の挨拶を、お読みください。
本会のメッセージが込められています。

〇 摂田屋の魅力とは

摂田屋地域は、単に日本酒、醤油・味噌といった醸造業の集積ということだけでなく、日本史の重要な出来事と関係した歴史トピックス、 市内中心地から短時間でアクセス可能な豊かな自然、ユニークな民俗文化などが多くあります。 もちろん、アート、文学に関する話題にも事欠きません。 これが、摂田屋にいらっしゃるゲストが例外なく、喜んでいただける理由だと思っています。  長岡観光にも、同じことがいえるのですが・・・。
本ウェブページは、機那サフラン酒本舗のみならず、これらの広域摂田屋観光、長岡観光に関する情報を掲載しています。 ご覧いただき、皆様の機那サフラン酒本舗、広域摂田屋、長岡の観光の一助になれば、幸いです。

〇 本ウェブページのサイトマップ

サイドバーの「サイトマップ《をクリックすると、PDFファィルが読めます。印刷などして下さい。

〇 「サフラン物語《と「摂田屋物語《の章

これらの章では、機那サフラン酒本舗、並びに醸造の町・摂田屋について、短い紹介をしています。散策の前にお読みいただくと、 より楽しい時間を過ごせると思います。

〇 「ガイドからのメッセージ《の章

本章では、機那サフラン酒本舗、醸造の町・摂田屋、広域摂田屋、更に長岡観光について、少し詳細な説明をしています。 一般的な観光情報というより、もし、私たちがカイドさせてもらえるなら、こんなお話をさせてもらいます、ということで、通常の パンフレットにはない情報も、含んでいます。
観光情報は、サフラン酒本舗、摂田屋を中心に、下の右図にあるように、6つのカテゴリーに分けられています。
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サイドバーの「ガイドからのメッセージ《をクリックして下さい。直接、 こちら をクリックしてもらっても、構いません。
長岡観光のエッセンスを一頁 にまとめています。 長岡を初めての方、ぜひご覧下さい。 多くの観光ガスイドコースを。まとめています。
サフラン酒本舗の庭園・離れは、積雪時を除く土日祝日、公開しており、ご希望により、待機している公開スタッフがガイドできます。
摂田屋全体のほか、長岡・町なか、山本五十六記念館、河井継之助記念館、如是蔵博物館、 米百俵の学校コース、悠久山公園、などは、長岡観光ボランティアガイドの会 による、予約ガイドのご案内もございます。時間、案内範囲のご要望も、ご相談に乗らせていただきます。
長岡駅で二時間、お時間がありましたら、駅の東側の米百俵の学校・阪之上小学校、現代日本画の駒形十吉記念美術館を 中心とした、二時間散策をお勧めします。 もっと時間の余裕のない方に、一カ所だけご案内するとすれば、長岡駅東口、長岡駅の新幹線改札口から徒歩五分のところ、 広い広葉樹の林の中にあります、日本互尊社の設立による如是蔵博物館の訪問がお勧めできます。
また、長岡の戦災の記録を今に留める場所の記録、そして、 長岡の非戦・非核の足跡、継之助・五十六・堀口大學のストーリーに関するコースも、ご興味があれば、ご相談ください。 これらについては、本ウェブページの英語版で、英文中心のガイドも用意しておりますので、ご利用いただけたら、うれしいです。

尚、以下のふたつは、 今後、ガイドコースとして検討している、「工学を中心とした教育《、「長岡のオイルシティーと機械産業の歴史《に関するものです。 長岡は、「米百俵《の歴史の町として知られておりますが、江戸期から明治維新後も、 営々とした教育への想いが流れている町と云えます。長岡は戊辰戦争による疲弊から明治初期に復興し、 中越の中心都市・商工都市として発達した。そこで大きな役割を果たしたのが、地元商人の岸と 旧士族三島らであり、特に彼らを中心に活動した「ランプ会《は、銀行設立や様々な産業振興の原動力となりました。ここでは、もし私がガイドさせて もらえたら、こんなご案内をいう、教育への想い、ガイド・ストーリーもあります。 さらに明治20年代の東山油田での開発ラッシュと多数の石油会社の設立は、長岡を「日本のオイルシティー《と 変貌させました。 特に山田又七の設立した宝田石油は長岡の中核的な大企業に発展し、山田又七は、 その油田開発に身命をかけ、 明治26年に宝田石油会社を設立し、後に じく中越で起業した山口権三郎の日本石油会社と並ぶわが国の 二大石油会社に成長させました。 大正時代に、山田がリードした東山油田は枯渇しましたが、鉄工業が残り、 長岡の主要産業となりました。 また、社会奉仕の「令終会《を組織し、現在の悠久山公園を造成したことも、山田の功績の一つと思います。 ここでは、山口権三郎と山田又七の人物像、業績を簡潔にまとめました。あまり知られていませんが、 山口権三郎が五十を超えて 世界一周見分旅行のとき、イギリスやドイツで読んだ短歌は、正に憂国と産業振興の 決意であり、その後の日本石油、新潟鐵工所の 石油産業の川上から川下に渡る技術開発と産業育成につながるものです。 近々、ご案内できたら、と思います。それまで、「ガイドからのメッセージ《で、ご案内していますので、ご興味のある方は、ご覧ください。