上杉謙信は、栃尾城から長岡宮内・上条城に移ったとき、 長尾から上杉に養子として迎えられました。上条城の位置 は、現在の原信・宮内店の東にあたり、栖吉城、村松城が 見え、さらに栃尾城も榎峠に中継の出城を持てば、連絡を 持てる位置で、西山方面、小千谷方面も眺望が拓け、 東山丘陵南端の金倉山を抑えると魚沼全域にも連絡を 持てる。 その意味で、宮内・上条城は、戦術的に重要 拠点と云えると思います。 個人の勝手な推察であるが、北の三条城、栃尾城、 そして南の魚沼・坂戸城が三条長尾、古志長尾、上田 長尾の各一族の居城であり、栃尾城が栖吉城、上条城 の主要な館、下表にまとめた近隣の出城ともに、中越・ 古志の地を支配していたのではないでしょうか。 しかし、中越の城は全て景虎側、後の御館の乱の敗者側 であり、全て消滅しています。