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摂田屋辻の入口・PC研修サンプル   

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東山丘陵が向こうに見えます。市民のいこいの場のひとつです。
中越地震の震源地は、この左の奥になります。 
さまざまなトピックスは後ほどとして、まずは定番の観光案内。
(詳細情報)

1. 旧三国街道と道しるべ地蔵、竹駒稲荷
長岡町千手のタバコ屋音蔵さんが文化3年(1806)、
娘が、この三国街道と山道の分岐点で行方知れずになり
慰霊のため建てたそうです。当時は、越のむらさきの建物もなく、
まさに村の入口の辻で、何もないところでした。
竹駒稲荷は、明治22年(1889)、吉乃川、機那サフラン酒の
二人の当主が、商売繁盛を祈って、宮城・岩沼の竹駒稲荷から
分祀勧請したと言われています。

2. 「右ハ江戸、左ハ山道」と地蔵の土台に刻んた文字
江戸の方向は、定明を経て、魚沼・堀の内で、山古志を経た
山道と合流します。その三国街道は、寺泊からはじまり、三国峠を
超えて、高崎で中山道と合流して江戸に向かいます。

3. 「左は山道」を、二十世紀になって著名人が度々通って
います。
堀口大學
 村松・本覚寺の親友・松岡譲の家を尋ねた道です。
 ちなみに松岡譲は、戦後の一時期、摂田屋に住んでいました。
山本五十六(当時は高野姓)
 小学生のころ、父親が勤める石坂小学校に行くとき、通った道
前川清
 ベテラン歌手の前川清さんは錦鯉の愛好者として知られ、
 山古志の養鯉場所を毎年、訪問しています。
 ご自身の名がついた「前川紅白」というブランド鯉を育てています。